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肺炎 1/2 病院に運ばれるまで

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【肺炎になりました】

時系列で話しますが,長いので,めんどくさい方は写真だけお楽しみください.

10月4日(日)くらいから風邪症状がでました.それから何日かしんどい状態が続きましたが,後々体験する出来事を考えると,このころのしんどさなんて,髪の毛を一本抜くくらいのものです.


10月11(日)にお昼ご飯に焼肉を食べるくらい元気だったのに,夕方から熱が39度に上がりました.試験の前日にもかかわらず,深夜0時に友達に病院に連れて行ってもらいました.インフルの検査は熱が出てから,24時間たたないとうまくいかないので,今は市販の薬を飲んでくださいといわれました.

10月12日(月) 世間は3連休なのですが,私は家で熱が下がらずルームシェアの友達の試験が終わるまで,一人でじっとしていました.食べ物は絶対に食べられない自信がありました.アクエリアスを作り出してくれた人に感謝していました.しんどくて本も読めないので考え事以外できませんでした.熱は39.5度でした.

10月13日(火) まず,火曜日は通常,私の中では,気分的には朝から始まるはずですが,このころ高熱の私は,永遠に続く苦しい月曜日の夕方みたいな気分でした.0時から息が苦しすぎて,何度も体の向きを変えていました.恐ろしい緑色の痰がでていました.息が苦しいので,一生懸命呼吸に集中しなければ呼吸ができず,結局,15分ほどうとうとして,その日は起きました.熱は39.9度でした.

ここから激動の一日でした.あまりに熱が下がらないので,大学の保健センターに連れて行ってもらいました.ありがとう.私の命の恩人.でも,アリにも勝てないほどの体力なので,車で座っていてもしんどかった,正直動きたくなかったし,救急病院に行ったときに動く体力と気力を全部使ってしまったんだ.行きたくなかったけど,鬼の命の恩人に怒られたのでついて行きました.

保健センターにつきました.診察表も自分では書けないと思いました.苦しくて下を向きたくない.私の前と後には,一人ずつ留学生の方が,順番待ちをしていました.私が診察を受けている間に私の恩人Sは,私の書類提出などを代わりにやってくれていました.

 診察室では,私はインフルの検査をしてもらいたかったけど,インフルっぽくなく症状的には風邪をこじらせたような感じだったらしい.少し肺炎を疑ってレントゲンがここではとれないから正確にはわからないけどと付け加え,抗生剤を出してくれることになりました.私は,先生にお礼を言い,立ち上がったが直後に気分が悪くなった.おそらく熱40度のまま動いたりする限界が来たのだ.「すみません,気分が悪くなってしまいました..」先生は休んでいき,とベッドを用意してくれるようだったが私は立ち上がって2秒以内に意識を消失した.

「大西さん!!大丈夫ですか?!!聞こえますか?!!!」

・・・ぱちっ.あ,倒れたのか.ここはさっきの診察室のベットか.でも寝ころんだ覚えがない.この女の先生が力持ちなのか,自らベッドめがけて倒れたのか.

 

そんなことを考えていたら,先生は救急車を呼んだ方がいいと言いだした.

 そしててんやわんやで受付してくれた人とか4人ほどの看護人に見守られながら,私は救急隊員の方と恩人であり友達のSとともに救急車に乗ることとなった.看護師と思われる人もさっきみたときはおっとりしていたけど,倒れてからは,体からアドレナリンが出たように,ものすごくてきぱきと,しかし優しく私の汗を拭いたり血圧を測ったりしてくれた.私は救急隊の方と先生のやりとりからできるだけ状況を把握しようとした.どうも1分弱ほど意識がどこかにとんでいたらしい.意識が戻った時に気がついたが汗びっしょりだ.そしてそれが冷えて少し楽になった.みんなに囲まれて安心している様子を先生は傾眠傾向にあると称していた.たぶん,意識朦朧みたいな意味だろうと後に思った.

救急隊の方々は体格の良い2人の男の人で,救急車は保健センターの前にとめられ,私は車輪のついたベッドで運んでもらった.その時の記憶は鮮明に覚えていて,「ああ,これでもう歩かなくてもいいんだ..」と思った.

しかし,いつのまにか戻ってきて思わぬハプニングに巻き込まれた友人Sの声で「病院から帰りはどうしたらいいでしょうか,自分で帰ってこれるように車でついて行っていいですか」と聞こえた.ああ,S戻ってきたのか.なんかごめん.倒れてしまった.そして,そんな私をみてもあなたは冷静だな,慌てないの?と思った.

 

そのまま救急車に乗せられ,まず診察室で倒れたときのように血圧を図り心拍をとるなどした.止まったままの時間は長かったが,つらくはなかった.倒れるまでが一番つらかった.意識障害,頭の様子をみるため,手を挙げて目をつぶったり隊員の指を見たりした.そうこうしている間に,私の搬送先は先日救急でおとずれた同じ病院に決まった.アレルギーをきかれ,ハウスダストとめんたいこです.といったら,隊員の人がふっと笑顔になり,おいしいのに,といった.私は,笑ってもらえたことがうれしくて,マスクの下で精一杯笑顔をつくった.明太子アレルギーは,真剣な場面でも笑ってもらえて意外に役に立っている.

結局Sは,私と共に救急車に乗ってくれたようだ.私は,きっと驚いただろうなあと思った.悪いなぁと思っていると,隊員の人が目を離したすきに,Sは「はしれ~はしれ~はたらくくるーまー!」と口ずさんでいた.なんだこいつ,わくわくしてるじゃないか.

そして,救急車の中にはいろいろかっこいい機器がおいてあって,目を閉じておくのがもったいないと思い頑張ってきょろきょろした.窓から少しだけ空が見え,街路樹の樹幹の内側がちらっと移り変わる様子から,わりと法定速度で進んでいることがわかった.救急車の中で私は,風邪で次の順番に並んでいた留学生の人に長い間待たせた上に,搬送までされて驚かせてしまって悪かったなあと思っていた. (次回につづく)