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肺炎 2/2 病院に運ばれてから

【肺炎になりました(後編)】

長いので,めんどくさい方は写真だけお楽しみください.

 

救急車の中から見えた空は,超快晴だった.運動会は,こんな日にしたい,と思う.

しかし私は,ガラガラと運ばれていた.想像以上に振動は伝わってくる.私の気分と同じ色を空がするとすれば,実家の近くにあるどぶ色だろう.担架から見上げるすがすがしい空はいつもよりもっと,とても大きな球面を内側から見ているように広かった.

もう自分で歩かなくてよいと思ったとたん,この呑気さである.

 

そして,救急車でくねくねと運ばれた病院で,私は入ってすぐの救急処置室に運ばれた.そこにいたのは2人の看護師さんで,あとから病院の先生も来た.前回のときとは違う先生だった.たんぽぽみたいなおじさんで,優しそうな人でよかった.

そして血液を採られるらしい,看護師さんがちくっとしますよ,ごめんなさいね,といった.看護師さん,全然大丈夫,このしんどさが解消されるのであれば,ちくっくらい笑って我慢できる.ぐさっと刺されたって我慢できる.それくらいのしんどさだった.

熱を測ると36.7度だった.私は「ちがうんです先生,さっき保健センターで測ったら39.5度あったんです」っといいたかった.しんどいんです,たすけてください,と.

しかし,冷静に考えて,汗とはすごいと思った.倒れて汗びっしょりになったことで3度も熱を下げられるということが,この命をかけた実験からわかりました.

そして,先生は検査をします,と言った.そのときのセリフはこうだ.

「たぶん気管支炎とか肺炎だと思うけれど,ほかの可能性を否定するために検査をします」

これを,優しいたんぽぽのように私の目をみて言った.私は,この先生は信頼できると思った.根拠はこうだ.私はその先生は私にきちんと証拠を見せてくれる,そのうえで自分の仮説が正しかったと教えてくれるつもりだということがわかった.そして,上に書いた先生のセリフは,そういう風に患者に説明すると安心するというところまでわかって言っている,と伝わってくるものだった.

そして,レントゲンを撮りにいった.そこまでベッドでごろごろ運んでくれるから楽ちんだ.しかし,病院の廊下を20代の若者が移動式ベッドで運ばれていくのだ,当然「この子,どうしたんだろう,まだ若いのにこんなに死にかかって..」みたいな目で,たくさんの人に見られた.こんな光景はテレビでしか見たことがないからな私も.と思いながら,ちょっと照れてマスクの下でにやにやしてしまった.しかし,にやにやがばれたら,元気そうだから自分で歩けといわれそうで,そこまではまだできないと思って,ばれないようにこらえていた.

レントゲン室では,立った状態で大きく息を吸って,止めた状態を5秒ほどキープしないといけなかったが,キープしてる間にまた気絶しそうになって―――,危ない危ない,意識を失わず,ちゃんとリアルワールドに存在し続けることができた.

そして,先ほどの処置室に帰ってきて,インフルエンザの検査の結果,陰性であることがわかった.こんなしんどいのに,と思った.

インフルでないとわかり,私は点滴につながれた状態で,ベッドのまま点滴室に移って検査の結果を待つこととなった.さっきのレントゲンの道のりを今度は+点滴(+付き添ってきた災難な友人S)で遠めの点滴室まで移動した.またみんなに見られたが,いろんなおばあちゃんに,私の今までの人生を,ずっと病弱で寝たきりで過ごしてきたみたいなのを想像しているような,かわいそうな目で見られたので,声かけてくれないかなとちょっと期待したけれど,声をかけて応援してくれる人はいなかった.みんななりに,いろいろ気を使ってくれたんだと思う.

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精一杯頑張って座ったときの様子がこれだ.なんて顔だ.いや,頭もひどいが.

そして,やってきたたんぽぽの先生に肺炎です.といわれたので,私は一瞬頭の中が真っ白になった.・・実際に真っ白なのは肺だが.

先生の診断だと,たぶんマイコプラズマ肺炎だと思っているが,検査の結果が出るのに時間がかかるらしい.普通,歩けて,話ができて,意識がある場合,入院はできないらしいが,私は3日間の入院を勧められた.しかし,ルームシェアをしているSが,家で面倒をみてくれるというので,お金のことも心配だったし,その言葉もうれしかったので,先生に,帰ります.と言った.(しかし,のちに後悔しかけることになるなんて,考えもしなかった)

点滴が終わると先生の診察室まで車いすで行くことになっていた.点滴をしているとトイレに行きたくなる.無理もないと思った,血液中に液体を500mⅬもいれるのだから.トイレは車いすで行った.車いすがなければ,はいはいすらできなかっただろう.この時私は,自分が障害者用トイレしか使えないという状況にはじめて陥った.これからは本当に必要な人が使えるようにしなければ,と心に誓った.

このときほど車いすに感謝したことはない.後でホームセンターを確認したところ,17000円とのことだったので,購入を検討したいと本気で思っている.一家に一台.

さて,点滴も終わったので,先生の診察を受ける前にもう一度今度は歩いてトイレに行った(スピードは相変わらずアリレベルだ)とき,トイレから診察室への20mの最初の1メートルで気分が悪くなった.ふわっとしたたちくらみのようなやわらかな意識の遠のきを感じた.そして,トイレ前の長いすで,無様にも倒れこんだ.友人Sは看護師さんを呼びに行ってくれていたので,私は一人で長いすにへばりついて待っていた.いろんな人にじろじろ見られたが,誰も声をかけてはくれなかった.その件に関しては,声をかけてもらいたかったから,一人で倒れている人を見かけたら私は声をかけようと思った.車いすと共に看護師さんが表れた.こうして診察室前までまた車いすで戻り,そのまま待つ.

しかし,また気分が悪くなった.今すぐに横にならないとこの黄色い大理石のようなつめたい病院の床にぶっ倒れると思った私は,これ以上ないくらいにふんぞり返るような格好になり,車いすの上でできるだけ頭を低くした.私は生きるのに必死だったが,一緒にいたSは私のそのなりふり構わぬ行動は恥ずかしかっただろう.そして,ひとりスペードのキングよりもえらそうな,しかし気品などかけらもない格好で私が車いすに乗っていることに人々が気づき,だんだん目立ってきて,しんどすぎて寝ころばないと地べたに倒れてしまうと思ってSに頼み,また点滴室のベッドに戻った.

診察してくれるはずだったたんぽぽの先生がベッドまで来てくれた.たぶん,何も食べれてないのが原因だという.血圧がすごく低い,だって脈がほとんどふれないんだもん.と私の手首を持ちながらいった.思い返せば最後にちゃんと食べたのは3日前の最後の焼肉だった.血糖値が上がらんのだな,と思った.最後にとても栄養のありそうなものを食べた幸運に感謝した.

そして,代わりに診察結果をSにきいてもらい,私は左肺がマイコプラズマ肺炎らしいということを知った.そんな報告をするSは「第一位は...!」というような結果発表のように楽しそうだった,私は自分が重病なのかちょっとどきどきしながら,もったいぶらずにはやくとどめをさしてくれ,と思っていた.

 周囲の看護師の方にも入院を勧められる中,私は帰ると言ってきかなかった.人間,決意をもって臨めばなんとかなるものだ,その証拠に私は家まで帰り着いた.偉そうに言ったが,大変人に助けてもらった結果である.受付まで看護師さんに車いすで送ってもらい,車から家までSに手をかしてもらった.そして,どうにか帰り着いた私は,そのままほろほろとほどける砂丘のお菓子のように眠りについた.

 そのあと大学の先生にお騒がせしました,と生存のメッセージを入れたのだが,まだどうやら朦朧といたらしく,「マイクロスコピック肺炎だそうです」と送ったところで,「いや,マイクロプラズマだったかもしれません」と送りなおした.どっちもまちがっている.正解はマイコプラズマでした.知っている研究室にメゾスコピック研究室というのがあるから,その辺とごちゃっと混ざったのだろう.

しっかりもののSはわかった時点で大学の先生に報告をしていたらしく,今思えば,私のはちゃめちゃな報告の間違いは先生もわかっているに違いなかったが,そのときはSさんがいてよかったね,というのみでそっとしておいてくださった.

3日間点滴をうけ,3日目の診察で先生にマイコプラズマの値が低いから違うかもしれない.痰の検査結果から来週わかるだろうということを教えてもらった.この間,熱は38.5度くらいに下がった.とても楽になった.普通ならしんどいだろうが,この時の私には平熱に戻ったように感じた.

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 17日になって,熱はやっと下がってきたが,ちなみにご飯は全然食べられない.人生ではじめて食欲不振に陥った.ノロでもちょっと経てば食べられるのに今回は厳しい.おなかは鳴っているので減っていると激しく主張しているが,おそらく,気道が狭くなってしまっていて,喉までおなかいっぱいのようなこの感覚のせいで,食べ物がほしくないのではないかと自己分析している.18日になって,やっとご飯を,頑張れば平常時の半分くらい食べられるようになった.食べなくても生きていけそうな気持ちだけれど,鬼の命の恩人Sが食べないと怒るし,心配するので頑張って食べている.

 

今回,病気になって思ったことがある.車いすに乗っていたりしている人は,見た目より今ものすごくしんどい体調なのかもしれないと想像するようになったこともその一つである.歩けるようになってからも点滴中にトイレにいくと

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 こんな感じの命のスタンドと共に歩くことになるのだが,これは普通のトイレの天井に当たってしまい.結局障害者用のトイレしか使えなかった.やはり,体調がすぐれないなども含め,すぐに必要としている人のためにできるだけ空けておいた方がよいと思った.元気ならトイレを少しくらい我慢できるが,しんどい時に立ったままトイレを我慢するは,トイレの我慢より「立ったまま」がしんどい.だから,すぐに入らせてあげたい.

あとは,このスタンドと共にしかも体調がすぐれない状態で歩くと,回り道をするのがしんどい.だから私は,今は自分がこの状況だけれども,こんな人を見かけたら道をあけて最短で行けるようにしてあげたいと思った.肺炎時の私の5mは,普段の強靭な私に換算すると42.195㎞ほどに相当する.これは大げさではなく大真面目である.誰の目を見ても言える.勇気を出さないと到達できない距離でした.

そして,最後の一つ.病気の断定は難しいのだから,お医者さんの推定結果を待って,その結果が違ったときに怒る人間になるのではなく,自分なりにこの病気だったらこういう症状になるはずだ,という仮説をもって先生と証拠を探そうと思うようになった.その理由は,最初に先生に痰の色をきかれたとき,どのスケールで答えればよいのかが分からなかったからだ.たとえば緑と白くらいの大きな違いをきいているのか,微細な違いをきかれているのかということがわからず,緑というには黄みがかった自分の痰を思い出しながら,自分のは黄緑色かな?などと迷い,まごまごしながら緑色です,と答えた.マイコプラズマは高熱が出た私の現在の症状にもっとも近いような気がするが白色の痰が特徴的という点で,暗黒の緑の痰を口からはける私と微妙に違う.自分で考えてもわからないのに,人が間違ったから怒るよりは,よりその先生が求めているスケールの応えを返す努力をする方が建設的だと思った.

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まだ,肺炎は治っていません,と16日の診断でぐっさーっと先生にたんぽぽの剣で刺されたが,刺されたって平気さ,それくらい耐えられると救急処置室で誓ったもの.まだほかにできることがないから,3日間のこの経験を一生忘れないようにここに記すことにした.

毎日5種類ずつ薬を,私と同じく粉薬がとても嫌いな誰かが発明したオブラートに包んでのんでいる.よく効くが,ぐぇっと苦いこの薬とおさらばできる日が早く来るといい.

そして,私を助けてくれたすべての人にありがとうと心をこめて言いたいと思います.

2015.10.18 (sun)